今週になり、急に寒くなり暖房の少ない我が家でもフル稼働しているが、この
寒波はかなり厳しい。おまけに先週から私が性質の悪い風邪になり順番に、娘
家人と風邪ひいていたが、ようやくおさまってきた。家にクスリを備蓄してるの
が役に立つ。あんまり寒いと動く気がしないし外へも出かけなくなる。それでも
仕事の人は休めないだろし大変だ。大雪で日本中、車が動かなくなり立往生して
いるニュースを見る。今年は、クリスマスて特に何もできないが娘がスーパーで
売ってるバラ売りのケーキで良いよ。と言うしフライドチキンも明日できたて
のを買い、ささやかに済ませる積り。元もとクリスチャンで無いしまだ風邪ひき
の余韻があるので、しんどいのだ。おいしいパンは買いたいね。
寝てる時に、ふっと思いだしたが娘がお腹にいる時八か月ぐらいのお正月明けに
実家で父親が風邪ひきから熱が出て、夕方に妹から電話があり来てくれと言う。
その日は家人の親戚が年始に家に来ていて接待し、すき焼きやら出しお酒も出して
そろそろ終わりて時だった。実家は歩いて五分のところにある、母親は朝から留守
で仕方無いので、実家へ大きなお腹で行くと父親がうんうん唸って熱を出して寝て
いた。ちとやばいなと思った、妹が「私は出ていく」と、するっとドアを開けて
逃げた。私と父親だけだ。それで救急車を呼んで正月の街を走り市民病院へ運び
救急のベッドが並んでる部屋で寝かされ、そこにずっとそばに付いていた。これ
ここで陣痛おきて生まれるんじゃないかと少し思った。夜の八時過ぎて母親と
妹と家人が病院にやってきた。医師がきて入院することになり父親は十日間入院
した。思えば、正月に弟等とお酒を毎日すごく飲んで昼寝して風邪ひいたらしい。
あのね、私は来月生まれる大きなお腹抱えて一人で救急車乗って病院行ってんだよ
他に誰もいないから私しか。長女の私はそうして当たり前だと思われてきた。
母親も妹も逃げて、弟は連絡もつかない。それが三十年前ほどのことだ。随分と
頑張ってきたなぁと自分で思う。そろそろそんな役回りも終わりにしたいよ。
お正月の思い出てそんなのばっかり。