十二月七日。また気温が高くなるらしい、寒いまま冬になるのかなぁと思って
タガ、そうでも無いんだね。昨日、開店の古書店で買った「猫を棄てる」村上
春樹を夜にするすると読んでしまう。やっぱ村上さんの文は良いな。それに、
夙川とか近くの地名や海が出てきて目に浮かぶようにわかる。村上さんの父上
は大正生まれで、京都左京区の安養寺の坊さんの息子だった。学業優秀で仏教
の専門学校から一度、徴兵され中国で歩兵になり日本で戻って、京都大学、当時
は京都帝国大学へ行き大学院まで行く。結婚して西宮にある私立校へ国語教師
でずっと仕事をした。なので西宮と芦屋に住んでいた。阪神間で育ったんだね。
自宅は庭のある一戸建で縁側がある。猫をいつも飼っていたと。そんなの読んで
ると、なんとなくそんな家に住んでいる先生の子ているよなと連想する。同級生
の家に行くと大概、門のある庭があり大き目の一戸建の家に住んでたし。親が
公務員や教師、大手の会社員で聞いてないのに母親が自慢半分で言うのが多か
った気がする。実は社宅で定年なると出て行くのも後で知ったけど。芦屋は、
社宅も多かったが、誰も自分の家が社宅なんて言わない。私の家は芦屋で持ち家
の一戸建だが、庭が殆どないし縁側も無かった。小さな家で、戦災で焼けてる
とりあえず寝る為に建てたて感じの家だった。始めは平屋だったけど子どもが
三人もできて二階にした。母親も小さな頃から公務員で仕事してたし朝食も自分
で作って食べるのが当たり前で、私は中学生から家のご飯を時どき作っていた。
だから小遣いとか貰ったこと無いけど。まだ貧乏て感じで仕事しないと生活でき
なかったんだろう多分。家には仏壇があり、檀寺は芦屋の近所のお寺だった。今
も同じだが、母親がホームに入ってからは家にお坊さんが来てお経を詠む事もし
てない。その替わりに、身内で仏壇の前で手をあわせて般若心経を唱えている。
私がそうした。いつも来る女の坊さんが嫌いでどうしても呼びたくなくなったか
らだ。子どもの頃は世間も表向きは信心深く法事などもして坊さんが走り回る
光景もあったが今は少なくなってる。京都はお寺が多いので神戸とはまた違う
んだろうね。