団子坂と言う名の坂が東京にあるのを知ったのは十七年ほど前。最近になりまた
この名前を読んで思いだすことがあるな。その団子坂を上り路地のような道を
ウロウロと歩いて作家の車谷長吉さんの家に二度お尋ねした。いきなり行く訳で
無く神戸から電話で東京へ今度行きますと言うと、家に遊びに来て。といつも
言ってくれるから。まぁ地下鉄の千駄木駅に降りて迷いに迷って電話して奥様の
高橋順子さんに道を教えてもらい、やっとたどり着いた日は今日みたいな秋の日
だった。茶の間に黒い卓袱台があり、そこで車谷さんとお茶を飲みながらお話し
た。その頃は神経の病気になって苦しんでいた。作家の業だと。「赤目四十八瀧
心中未遂」で直木賞をとりその後に、その家を買ったのを「武蔵丸」に書いてて
私が「武蔵丸」を読んで「いいなぁ」と思ったと言うと「ほう」と嬉しそうな
顔で言ったのも覚えている。小説が書けなくなってからあそこで自ら死を選ぶ
ように亡くなったのは今でもつらい。車谷さんの家を出て神保町へ行く時に送って
くれて鴎外記念館まで歩いていったのが最後になってしまった。あの家はまだ
あるのだろうか、どこか東灘の感じと似たのがある落ち着いた好きな町だったな
東京でそんなことがあった話をすると、神戸の自称なんとかさんの人等にどこか
何であんたが、みたいなのを感じた。その後に女だから。と必ず言う。主婦の
ヒマつぶしとも何度も言われた。言いたきゃ言えばいい。と今なら言えるけどね