九月もあと二日で終わりに、台風の多い月だった。やっと朝晩は秋らしい涼しく
なったが、昼間はまだ暑い。暑さてのはしつこいね。服も半袖を着ている。
テレビが余りにも詰まらないので、家の本を少し整理して出してみたがその中の
文庫をパラパラして読んでいたら、森茉莉さんの亡くなったことが書いてあり少し
読んでいた。森鴎外の娘で、子どもの頃は溺愛されて育ち教養もあり文章も良く
していた。しかし鴎外死んだ後は結婚も失敗しアパートで貧乏なひとり暮らしを
され亡くなった時も、ひとり暮らしで二日間発見されなかった。お葬式は出版社
が出した。沢山の弔問客が訪れ茉莉さんを偲んだと。冗談なのか本気なのかわか
らない事をさらっと言うお茶目な人だったらしい。七十代後半まで生きていた。
私は森茉莉さんが生きている時に、時どき週刊誌で連載しているのを読んだりし
て、その頃はかなりお婆さんの写真があり少しばかり、えっ。この人が森鴎外の
娘か、と思ったな。すみません失礼な輩で。亡くなってから「父の帽子」を読み
上手いなぁすごいなあと思った。東京の住居跡の団子坂にある鴎外の家にも行った
ことがある。アパートから歩いて喫茶店へ毎日通い、紅茶を飲んで原稿を書いた
り昼寝したりしていた。詩人の萩原朔太郎の娘の萩原葉子さんと会ったり話もある。
他人が見たら変わっているんだろけど、本人は普通だと思っていただろう。
作家の子ども、女性が作家になることは多い。幸田文もそうだ。明治の女性が作家
になるのは今より、ずっと難しいことだっただろうな。遺伝というより本人の才能
も大きい気がする。