お盆の送り火の十五日は、台風が上陸中で外は風が吹き荒れている。大きな被害が
出ないと良いけれど。電車も何もかも止まっているし、ライフも休み。どこにも
行けそうにない。エアコンは何とか動いてゆるい冷気を出しているので良かった。
こんな時は本を読むしかないんだけど、どれを読もうかもひとつ手が伸びないなぁ
と思いつつ仕方ない気分で「富士さんとわたし」山田稔を始めから読みはじめた。
なんせぶ厚い本で、私は寝ながら本を読むのでうっかりすると顔の上にバサッと本
が落ちてくる。夜の台風の轟音を聞きながら、読んでると色々と思うものがある。
富士正晴は山田稔さんより大分年上だったし、茨木の富士宅へ初めて訪問したのは
山田さん二十三才の時だ。あの竹林の隠者の家だ。今の図書館の辺だろか。今でも
何も無いが当時はもっと竹藪だらけだったんだろうね。そして思うままにならず、
八七年七月に亡くなるまで二人の親交が書かれている。山田さんは三十年生まれ。
「VIKING」の主宰だった富士さんに見込まれて入会を強くすすめられてるのを、
すぐ受けず迷っているのも何となくわかる。同人誌の合評会て作品をボロクソに
言い合いかと思うような所もあり昔そんなのに出たが、うんざりしてやめた記憶
がある。また、あんなの誘われても絶対に出ないだろ。大正から昭和初めて同人誌
が多く作家志望の人が集まっていたのだ。それで有名になった小説家もいるし、芥
川賞の候補になったり受賞した人もいた。まぁ最近では西村賢太が同人誌に発表
した小説が芥川賞の候補になり後に「苦役列車」で受賞した。この同人誌を手に
入れたかったけど見つからず読めなかったが、坪内さんは同人誌を手に入れて読ん
でいた。そしてすごく良いと何かに書いてた。すごい人だアンテナがすごい。
山田さんの文は昔からちょくちょく読んでいたが、最近では「ぽかん」ミニコミ誌
に新しい文を書いてるのを読んだりした。発行人のSさんは、よく知ってて私と
親交があり家に送ってもらっていたから。山田さんがSさんの声かけた集まりだけ
出て来られるのも知っててミーハーで行きたいと思ったこともある。行かなかった
けどね。きちんとした本を読んだことは殆どないだろう。雑文みたいなのばかり、
読んでいた。台風が来なかったら、読まないままだったかも。