なえブログ日記

大島なえの気まぐれなブログ日記

読む人

二月後半に入り、怒涛の関西古本市があちこちで始まった。なんで同じ日にする

んだろね。せめて週替えて欲しい。ても来週もあるけど。部屋の本棚を見ていた

ら、上に小さな絵がプラスチックのカレンダ立てを利用した中に入れた絵はがき

サイズの絵に目がとまった。見ると数年前に買った、林哲夫さんの「読む人」で

これはポストカードの十枚入り五百円のなかの一枚を、パっと見て選んで立てた

もの。ギャラリー島田の個展で売ってたのを買ったんだね。なんでも無いデッサン

だけど気に入ってるので飾っていた。ホコリを拭いて、携帯のカメラで撮りツイ

したが昨日、ギャラリー島田さんのツイッターからリツィートとかされていた。

あらま、見てくれていたらしい。ありがとうです。島田社長とは、かなり前から

知合いで何度もお会いしたり話したりしたし、おそらく私の事も覚えているだろ

う。神戸の文化人として有名。ギャラリーを経営する前は海文堂の社長だった。

その前は大手重工会社に務めていたが、創始者の奥様の父上に懇願されて会社

を退職して海文堂の社長になり、義父が亡くなるまで社長をしていた。なんせ

昔は勝海舟が神戸に船がらみでいた時から本を卸していたとか老舗書店で歴史

にも残ってる時の創始者から託されて、つぶさない様にとバブルもあって本が

売れていて二階に好きな絵画の画廊まで作っていたし、私もよく本を見に行った

が、その頃は別に親しい書店員もいなかったし。お家騒動ばりの社長交代とか

あったのを知ったのは、ずっと後のこと。新聞に詳しく調べた記事が何回もH

氏の手で書かれたのが興味深かった。結局、子どもが継いで社長になったが

長男が病死し次男があとを継ぎして、次第に下降していき百年になるのを目前

に閉店した。島田社長が海文堂の前で無念さを演説しているのも見たな。古い

書店員は、皆さんずっと社長と呼んでいた。今は、奥様が亡くなりすこし寂し

そうだがギャラリーは普通にある。絵画の方は、すごい目利きだ。また伺い

ます。