お盆の休みに白洲正子「ほんもの」(新調文庫)を読んだ。
白洲正子さんは目利きと言われているし、骨董などの美術品を好んで
集めていらした。随筆などの文章も自然体のらしいモノで読みやすく
まぁ私が説明するまでも無く、家柄も良いお嬢様育ちでアメリカ留学
して帰国してすぐに白洲次郎と結婚してと或る方面の女性から羨望さ
れている。私は、そんなファンでも無いが時どきはこうして本を読む。
写真の晩年のお顔は少し怖い。平成十年に八十八才で亡くなられた。
白洲正子さんに、会ったことは無いが京都へ行くとよく話を聞く事が
あったし、姫路でお会いした車谷長吉さんからも何度か話を聞いた。
まだ無名の小説家で貧乏のドン底の頃に書いた短編小説を白洲正子さん
が絶賛して、本人に手紙を出し文芸雑誌にもそれを文章にして書いて
車谷長吉て誰だ?と注目されたのが売れ出すきっかけのようになる。
その文章も後に最後の対談になった二人のも読んだし、手紙のことも
聞いたりした。白洲正子さんの目利きの目は車谷さんの小説をつかん
だように私には思える。
白洲次朗氏と結婚された縁で芦屋ともつながりがある、白洲次朗氏
は芦屋の育ちで神戸高校へ行っている。お墓は三田に今もある。友人
も目利き揃いで青山二郎や小林秀雄等と付き合いお酒を飲んで朝帰り
することもしょっちゅうだったと本人が書いている。本気で言い合い
する時は、二人とも英語になったそうだ。明治生まれの良家のお嬢様
で、こんなに好き勝手して今も名を残しているが、軽く言ってしまう
と正子さんはぶっ飛んでいた変わった人のような気もするな。