なんとなく大阪に住んでいた頃の話のつづき。自宅が全壊して寝るところが
無くなり大阪へ無一文で家族四人が住んだのは、東大阪市の瓢箪山で何故かと
言うと親戚が近くに住んでいて地震直後に呼んでくれたから。いつ迄も居候も
できないので近くに鉄骨の2DKのマンションを借りて二年間神戸に戻るまで
住んでいたな。そこは駅から十五分だけど山の中腹で坂を延々と登って家に
帰る。住み始めたのが三月始めで高台にある家の下目の前に田んぼがあった。
生まれてからはじめて田んぼのそばに住み私には、とても新鮮で五月になる
と水をはった広い田んぼに田植えをして、そのすぐ横のあぜ道を通りああ、
田んぼがあるのって良いなぁ。と田舎の人に怒られそうなことを思った。ま
仕方無いです見たこと無いんだから、芦屋も神戸東灘も田んぼなんて全然無い
大阪も中心から離れると田んぼが多いのです。その稲が大きくなり稲刈をして
冬に土だけで春になると耕して田んぼになるのを見て過ごせたのは貴重な体験
だったなぁ。夏は虫が多いとかあったけど私は地元の人とも喫茶店で話したり
楽しかった。家族は神戸に帰りたがってたが、娘が幼稚園を卒園する時に礼服
がなくて(大阪は皆、卒園式に礼服を着る)喫茶店のママに言うと、ええで私
のを貸したげるからそれ着ていき。と本当に礼服を店に持ってきて貸してくれ
かなり上等の黒のワンピースを着て卒園式に出た。なんていうか親切なんやね
服も何もかも埋まって間に合わせの普段着しか持ってなかったので今も感謝し
ている。ひとにもよるが大阪のおばさんは服を買うのが好きな人も多いらしい
神戸に帰る前に日に店に挨拶に行きコーヒーを飲んでいると、ママが大きな
紙袋を出してくれて後で中を見ると玄関マットだった。それもブランド品で
ありがたく十年位は使っていたけど擦り切れて破れてきたので年末に捨てて
しまった。また田植えが始まる頃だなー